膝丸が清和源氏3代目の源頼光に渡った時のこと。

01北野天満宮mid
丹波口大江山の酒呑童子の鬼退治・・・
一条天皇(平安時代中期の66代天皇)の御世に、都の姫君が大江山の酒呑童子のさらわれるという事件が起こり、天皇は、源頼光とそれに従う四天王(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光)と藤原保昌とにその征伐を命じた。
頼光たちは大江山に向かい、酒呑童子達に酒をたらふく飲ませ、酒に酔った寝込みを襲い、鬼どもを征伐したという。
また、京の妖怪、土蜘蛛退治・・・
頼光が病に臥せっていると、そこに7尺(2m)もの身丈がある怪僧が現れ頼光を襲ったが、頼光は名刀・膝丸で僧を斬り付けた。
僧の姿は消え失せたが、血痕が残っているのに気付き、四天王を伴い血の跡を追うと、北野天満宮裏で大蜘蛛が倒れ息絶えており、頼光の病も癒えたという。
この土蜘蛛の正体は、神武天皇が討伐した土豪の怨霊だったといい、北野天満宮の東向観音寺には、土蜘蛛灯籠なるものが奉納されている。
この土蜘蛛を斬ったのが「膝丸」で、爾来「蜘蛛切」と呼ばれるようになった。

02燈籠mid
東向観音寺の伴氏廟の横にあるのが、「土蜘蛛の灯籠」である。
駒札によると、
『この土蜘蛛灯籠は、もと七本松通一条にあって、源頼光を悩ました土蜘蛛が棲んでいたところといわれた。明治年間に、この塚を発掘したところ、石仏や墓標の破片したものが出土し何ら参考となるものはなかった。そのときの遺物がここにある「火袋」で当時、ある人が貰いうけ庭に飾っていたところ家運が傾き、土蜘蛛の祟りといわれたので、東向不動尊に奉納したという、なお「土蜘蛛」とは我が国の先住穴居民族で背が低く、まるで土蜘蛛のようだったといわれる。』
                     出典:【「土蜘蛛」灯籠由来の駒札】より