伏見の桃陵団地の一角に建つのが「常盤御前就捕処碑」である。

01常盤御前就捕処mid
平治の乱で義朝が敗死した為に三人の子供を連れ雪の降りしきる中を、京から大和(奈良)へと逃げる途中に寶樹寺立ち寄り、薬師如来像に子の生長を祈願し、老松の下で雪除けをして、伏見の地まで来た時に、母が捕えられたと聞き、京に戻ろうとした処を、ここで捕えられたという。
その跡に「常盤御前就捕処」の石碑が建っているのだが、石碑の建立者は陸軍大佐佐藤正武で、この地が陸軍第十六師団隷下の工兵第十六大隊の衛戍地であったことからだろう。

02石碑mid
碑文には、
『従四位勲二等岩崎奇一題
頭角蔵懐未嶄然/竜門母子此迍邅/老椎独在興亡外/雪虐風餐八百年
工兵第十六大隊長佐藤正武建』

蔵懐(かいぞう:思いを秘め外に漏らさない)/嶄然(ざんぜん:抜きんでるさま、-頭角を現す)
迍邅(ちゅんてん:遅々として進まない)
雪虐(せつぎゃく:雪に苦しめられる)/風餐(ふうさん:風に吹かれながら食事する)

意訳すると、
牛若が思いを秘め未だ頭角を現すことなく、平家の追討から母・常盤と三人の子が逃れここで遅々として進まなくなった時に平家に捕縛される、老いた椎の木がその事の顛末を、風雪に耐えながら八百年変わらずここに立っている。