平治の乱で夫の源義朝が平清盛に敗れると、常盤は三人の子供を連れて大和に逃れようとする。
途中、東山の「寶樹寺」に立ち寄り、三児の成長を祈ったといい、また境内には「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり、常盤御前が大和へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたという。

01寶樹寺mid
駒札によると
『清涼山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。
昔、この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから、橋詰堂とも呼ばれていたと云う。
寛永3年(1706)僧聖空によって中興され、寺名を寶樹寺と改められ現在に至っている。
本堂には、本尊の阿弥陀如来立像と薬師如来坐像が安置されている。
この薬師如来坐像は、俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前が今若、乙若、牛若の三児の生長を祈願した像と伝えられている。
また境内には「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり、常盤御前が大和へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。』
                           出典:【寶樹寺の駒札】より