今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」で、源頼朝が起こした鎌倉幕府の創成期の話を取り上げている。
源氏と京都の関りについては、鞍馬山に幽閉された牛若丸(源義経)の話がよく取り上げられるのだが、京都にも源氏に関わる場所があり、今回はそのいくつかを取り上げてみようと思うのである。
まずは、五条大橋の西側、中央分離帯に弁慶と牛若の出合いが石像で再現されているのだが・・・
五条大橋は、弁慶が999本の刀を奪い、後1本で満願成就の時に出会ったわっぱが牛若丸で、その出会った処が五条の大橋だったという。
五条大橋が、弁慶と牛若の千本目の戦いの橋として知られるようになっのは、尋常唱歌(じんじょうしょうか:明治の時代に小学校の教科書に載った歌)の「牛若丸」で、
『京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる』とあるように、五条大橋の上で
『牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く』
『前やうしろや右左 ここと思えばまたあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった』と、京の五条大橋で戦った場面が歌われている。
鬼の弁慶が負け、牛若丸の家来となり牛若丸(義経)の最後まで供をするのだが、その出会いの場所が五条大橋だとされているのだが・・・
しかしこれには明らかな矛盾があり、牛若丸の時代にはまだ現在の五条大橋は架かっておらず、五条通も二筋北の松原通であり、ここな架かる橋(現在の松原橋)が五条大橋だったのである。
それならば、この松原橋の上で出会ったのかというと、これもまた眉唾であり、そもそも五条の橋の上で本当に弁慶と牛若丸が出会ったのかということも疑問符が付く。
弁慶は夜な夜な何処にでも出没できるのだが、牛若は鞍馬寺に預けられた罪人の子であり、鞍馬の山奥から京の市中に気軽に出かけることなど難しく、まして橋の上で弁慶に会うことなど、後の作り事としか思われないのである。
そしたら二人は何処で出会ったのだろうか。それは松原通にある「五條天神宮」がある辺りが、その昔、五條天神の森であり、この五條天神の森こそが弁慶と牛若が出会った処ではないかと言われており、どうやら橋の上での戦いは、後に弁慶と牛若の出合いを盛り上げるために、創られたというのである。
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