蹴上の舟だまりから北に、疏水分線をおっかなびっくりで歩くと、南禅寺となる。
琵琶湖疏水は、そのまま南禅寺の境内を、西から東へと流れてゆくのだが、その南禅寺の境内を流すのが水路閣である。
水路閣は、所謂、天井川と同じ方式で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mのレンガ造り、アーチ構造の水路である。
この水路は疏水分線を松ヶ崎まで流す為に、山と山との間に水を流必要があり、このようなレンガ造りの水路を作ったのである。
水路閣は南禅寺の境内を通るために、その景観に齟齬(そご)をきたさないように田邉朔郎が苦心をし、考えて造ったものである。
今だったらコンクリートの塊のような味も素っ気無い水路閣になっていたかもしれない。
疏水のなかでは、あまりにも有名な誰もが写真やテレビなどで一度は見たことがある景色で、特に言葉を尽くすことはないだろう。
水路閣の上を疏水が流れ、再びトンネルに入って、哲学の道の堤を歩く人達を見て、松ヶ崎へと流れてゆくことになる。
『疏水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎博士を工事担当者として、明治18年に起工され、同23年に竣工した。
水路閣は、この疏水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっている。
またここから西500メートルにあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。
いずれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて帰朝なものであり、昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
また、平成8年6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疏水の第1・第2・第3隧道の各出入口、第1竪抗、第2竪抗、明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。』
出典:【史跡琵琶湖疏水のうち「水路閣」の説明板】より
コメント