蹴上の浄水場から南禅寺へと向かうには、琵琶湖疏水(インクライン)をくぐるのが近道であり、そこに造られたのが「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルである。

01まんぽ(1)mid
「まんぽ」という言葉はトンネルなどを表す方言で、人が通れる位のトンネルで上を疏水が流れ、その下を潜って抜けるトンネル、すなわち「まんぽ」ということらしい。
「ねじり」はレンガ積みの段階で真直ぐ積んでいくのではなく、すこしずつネジッてレンガを積んでいく工法から、ねじれたトンネルという意味で「ねじりまんぽ」と付けられたらしく、レンガをねじることによって強度が増すという。

02まんぽ(2)mid
「ねじりまんぽ」は、琵琶湖疏水を設計した田辺朔郎が、蹴上のインクラインを造った時に、その途中からこの下を抜けられるトンネルを造り、住民の便を図ろうと考えたものであり、このトンネルの上は琵琶湖疏水のインクラインである。
この時代の設計者は、そこに住む人達の便利を考えて、インクラインの下に「まんぽ」いわゆるトンネルを造ったのである。
当時は生活道路、今でもそうだろうが、「ねじりまんぽ」として知られるようになった。

03扁額mid
三条通側の「まんぽ」には、篆書(てんしょ)体で「雄観奇想」の扁額が掛かっている。
掲げられた扁額には、当時の気概が感じらられ、明治という新しい時代を「雄観」し、それに見合う、すごいおもい「奇想」を成し遂げたという、強い思いが見られるのである。
反対側の入口に掛る扁額は「陽気発處」と書かれているようだが、随分と劣化をし、その門司が読みづらくなっているのだが、朱子の「陽気発する処、金石また透る、精神一到何事も成さざらん」の一節から取られたもので、運気をあげる素晴らしい場所だということらしい。

04まんぽ(3)mid
駒札には、
『「ねじりまんぽ」は三条通から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、明治21年(1888)6月に完成しました。
高さ約8m、幅約2.6m、長さ約18m。
「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉です。
トンネルの上部に敷設された、台車に載った船が行き交うインクラインの重さに耐えられるように、内壁のレンガは斜めに巻かれ、トンネルはインクラインと直角ではなく斜めに掘られています。
トンネルの東西には、トンネルの完成を祝い第3代京都府知事の北垣国道が揮毫した扁額があります。
西口の「雄観奇想(ゆうかんきそう)」は「見事なながめとすぐれた考えである」、東口の「陽気発処(ようきはっするところ)」は「精神を集中して物事を行えば、どんな困難にも打ち勝つことができる」という意味です。
このような形状のトンネルは全国的に施工例が少なく、また多くが老朽化や廃線等で撤去されました。
「ねじりまんぽ」は、明治時代の土木技術を物語る貴重な遺産といえます。』
                        出典:【ねじりまんぽの駒札】より