蹴上の地は京都の近代化の礎となった地で、都が江戸に移り東の京となり、明治天皇や公家たちが京を離れ、東京に移ったことにより、京都が寂れるのを憂いた人達が、琵琶湖から水を引き、それを活用して京都の活性化を図ろうとしたのである。
田辺朔郎によって設計された琵琶湖疎水は、水利と共に、その水を利用して電気を起こして、それを使って何が出来るのかを考えた時に、京の町に電車を走らそうと考えた人がいて、蹴上の地に発電所を設け、その電力で今はない京都の市電を走らせたのである。
蹴上発電所は琵琶湖疏水の建設と共に造られたもので、明治24年(1891)6月に、2台の発電機で運転を始め、この電力により日本初の市電が、明治28年(1895)に塩小路から伏見まで開通するのである。
琵琶湖疏水は琵琶湖の水を京都で利用すると共に、船運を主目的としたのだが、途中その水路を利用し水力発電を行うのが有効だとされ、これを造ったことにより京の産業は飛躍的に発展することとなるのである。
琵琶湖疏水を開発するにあたり、田邉朔郎はアメリカの水力発電所を視察し、疏水を利用して水力発電を起こそうと考え、明治24年(1891)日本で初めての発電所である第1期蹴上発電所を造るのである。
その後、電力需要は大きくなり、第2琵琶湖疏水工事が上水道や市電の敷設とあわせて京都市三大事業として計画されることとなり、明治45年(1912)に第2琵琶湖疏水と第2期蹴上発電所が完成することになる。
ここに残る建物は、第2期の発電所で、明治の建物らしくレンガ造りのしっかりした風格を備えた建物となっている。
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