平安神宮の大鳥居から疎水に架かる慶流橋を渡り、疎水に沿う仁王門通を「六勝寺のこみち」という。

01疏水mid
琵琶湖疎水は、明治18年に工事が着工され、大津山科間の第一トンネル(延長2,436m)の工事は、硬岩と湧水との闘いの中での大変な難工事となった。
疎水工事は明治初期の土木技術の最先端をいくもので、着工してから4年8ケ月後の明治23年4月、就労者数400万人、125万有余円という莫大な費用をかけて、大津の琵琶湖取水地点から鴨川落合まで11.1kmの疎水が完成をした。

02六勝寺の小路mid
その疎水の流れに沿うように、岡崎の地に六つの寺が立てられた。
その寺は院政の期(12世紀)に岡崎の地に天皇の個人的な思いで、豪壮華麗な寺が建てられたもので、ときの天皇の権力によりその規模は異なるが、その何れの寺にも「勝」の字が付けられていた為に、六つの勝の寺で「六勝寺」と総称された。
六勝寺の所在は・・・
1.尊勝寺は、73代堀河天皇により、康和9年(1102)に建立され、現地名は「岡
  崎尊勝寺町」と「岡崎西天王町」とにまたがっている。
2.延勝寺は、76代近衛天皇により、久安5年(1149)に建立となり、現「東大路
  二条下ル東西の両側」である。
3.成勝寺は、75代崇徳天皇により、保延5年(1139)に建てられ、現名は「岡崎
  成勝寺町」と「神宮寺東側」とにまたがっている。
4.円勝寺は、待賢門院(鳥羽天皇の中宮で75代崇徳・77代後白河天皇の母であり、
  源平が入り乱れ戦った保元の乱は、この長子「崇徳」と四子「後白河」の権力争いで
  あった)により、太治3年(1128)に建てられ、現「岡崎円勝寺町」にあたる地
  域である。
5.最勝寺は、74代鳥羽天皇により、元永元年(1118)の建立で、現名は「岡崎最 
  勝寺町」である。
6.法勝寺は、72代白河天皇により、承暦元年(1077)に建てられて、現地名は
 「岡崎法勝寺  町」と「京都市立動物園」とにまたがる地域である。
その六勝寺に由来して名付けられたのが「六勝寺のこみち」であり、春の桜の季節には疎水に浮かぶ散り桜が水面を埋めて美しい。