烏丸鞍馬口の交差点から東に4分ほど歩くと、「閑臥庵(かんがあん)」がある。

01閑臥庵(1)mid
閑臥庵は、江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸であったが、王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)を歓請し、六代目の萬福寺管長千呆(せんがい)禅師が、寛文11年(1671)に開山したのが起こりである。
御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名した。
閑臥庵に祀られている北辰鎮宅霊符神は、十千十二支九星を司る総守護神であり、陰陽道最高の神とされており、平安時代の中ごろ円融天皇が方除・厄除の霊神とし京都の丑寅(東北)にあたる貴船に祀ったもので、天皇が陰陽師の安倍晴明に付託開眼させたと伝えれる金剛象で、高さ四尺五寸の神像である。
祀られている鎮宅霊符神から鎮宅さんとも呼ばれている。

02閑臥庵(2)mid
閑臥庵は、黄檗宗の禅寺で、その門は如何にも禅寺らしく、中国風の造りとなっている。
駒札によれば、
『山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺である。もとは梶井常修院の宮の院邸であったが、江戸時代前期に後水尾法皇が、夢枕に立った父・後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護のために貴船の奥の院より鎮宅霊符神をこの地に勧請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師が開山となって寺としたのが当寺の起こりである。
北辰鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神である。
御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としたほか、法皇は、春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、秋の句
「明けぬとて 野辺より山に 入る鹿の あとふきおくる 萩のした風」
など、御宸翰(ごしんかん)その他が今も伝えられている。
また、法皇も好んだ黄檗宗特有の精進である普茶料理が、今は教化の一部として一般に饗されている。』
                           出典:【閑臥庵の駒札】より

03閑臥庵(3)mid
閑臥庵は拝観時間が昼の13:00から、夜の22:00までと京都の社寺では珍しく通年を通して、本堂・庭園のライトアップが行われている。
昼間だけでなく、夜の22:00まで拝観出来るという寺院である。
またここでは、普茶料理を味わうことが出来る。
普茶料理とは、中国の禅僧・隠元が江戸初期の承応3年(1654)に日本に渡り、寛文元年(1661)、宇治に満福寺を開くことになる。
この隠元が日本にもたらしたものに、インゲン豆、孟竹、西瓜、レンコンなどがあり、それと共に「素菜」(中国の精進料理)を伝えた。
この素菜こそが普茶料理であり、4人で卓を囲み、上下の隔てなく料理を分け合って食べるというものである。

鎮宅さん(閑臥庵)
京都市北区烏丸通鞍馬口東入る278
京都駅から、
地下鉄烏丸線で「鞍馬口」下車、1番出口より徒歩3分