松尾大社から月読神社を訪ね、そこから鈴虫寺へと向う途中に、延朗上人ゆかりの地である、谷ケ堂の最福寺跡があり、さらに車の通れない小さい道を西南に歩くと、急に目の前が開け左に茶店があり、その前に長い階段があり、この階段を登ると鈴虫寺として有名な、華厳寺がある。
最福寺は、延朗上人によって開山された寺であり、今では、小さなお堂しか残っていないのだが、その昔は松尾大社と並び、洛西を代表する寺院だったようで、七堂伽藍が煌びやかに建っていたと云う。
現在堂内には、延朗上人の坐像、鎌倉時代の木像が安置されていて、延朗上人の命日にあたる十二日の日には、お堂が開帳される。
延朗上人八百回大遠忌の記念として、平成19年(2007)に建立された「さしのべ観音」の前では、2月11日の夕に願い事を書いた600本以上の青竹燈篭を境内にならべた、「延朗上人 さしのべ観音 竹とうろう祭」が行われる。
華厳寺の地もまた最福寺の旧地であった所である。
鈴虫寺の正式な名は、妙徳山華厳寺と云い、江戸時代中期の享保8年(1723)に、鳳潭(ほうたん)上人によって創建された華厳宗の寺院であったが、慶応4年(1868)に臨済宗に改められている。
寺は一年中、鈴虫が鳴くところから「鈴虫寺」とも呼ばれている。
鈴の音のように「りーん、りーん」と鳴く鈴虫は、秋の夜長しか鳴かないのだと思っていたのだが、この寺では28年の歳月をかけ、日中一年中鳴く鈴虫の環境を創り出したのだという。
最近では秋の夜長になっても、なかなか聞くことの出来ない鈴虫の鳴き声を聞きに、ここに訪れる観光客は多いのである。
華厳寺の開山である鳳潭上人は、承応3年、越中国(現、富山県小矢部市埴生町)に生まれ、12才に上京比叡山延暦寺にて得度し、正徳5年未年この地に華厳寺を創建し、新華厳宗の開祖となる。
また難解な華厳宗を易しく説き、教典140余冊を上梓した学僧で「華厳の鳳潭」とも呼ばれている。
元文3年2月26日85才を以って示寂する。
また山門の横には、どんな願い事でも一つだけ叶えてくれるという、草鞋を履いた、お地蔵さんの「幸福地蔵」が建っている。
寺内で幸福地蔵のお守りを受け、帰り際に一つだけお願い事をすれば、その人の家まで出向いてくれ、願い事を叶えてくれるという。
また願い事が叶った人は、お地蔵さんにお礼を言い、再び新しいお守りを授かり、新しい願い事をすることが出来て、何度も何度もお願いを叶えてくれるという、有難いお地蔵さまなのである。
鈴虫寺(華厳寺)
京都市西京区松室地家町31
京都駅から、
京都バス、C6乗り場から「73」系統で「苔寺・すずむし寺」下車、徒歩2分
コメント