JR琵琶湖線の山科で降り北に20分ほど歩くと、毘沙門堂があり、その北に塔頭である「双林院」がある。
毘沙門堂を西に出ると、双林院への近道との案内があり、緩やかな山道を西に少し下がると、山科聖天の石碑がある前に出る。
山科聖天とは通称で正式には、護法山双林院というお寺である。
神社でもないのに鳥居があるのはおかしいのだが、本尊である歓喜天は神社としても崇められていることから、寺院でありながら、鳥居が立っているという珍しい寺院なのである。
双林院は寛文5年(1665)に、毘沙門堂を再建した公海により創建される。
本尊に大聖歓喜天を祀り、武田信玄などから奉納された聖天像百体が安置され、「山科の聖天さん」として広く信仰されている。
その鳥居をくぐり山門を抜けると、正面に不動明王を祀る「不動堂」が、右に歓喜天を祀る「聖天堂」がある。
不動明王の駒札によると、
『本尊不動明王(桃山時代作)は比叡山の千日回峰行者であった当院第二十四代住職が、明治16年に比叡山無動寺谷より勧請されたもので、脇佛に四大忿怒(ふんぬ)像を従えた五大明王である。
本尊は愛染明王や馬頭観音(平安期以前の作)その他複数の仏像が巧みに組み合わされたもので、その数は約三百部材に及ぶ。
特に頭部には如来の螺髪(らはつ)があり、その頂点には楊枝状の部材が約百本納められているという、他に例のない珍しい仏像である。
織田信長の焼討により損傷した多くの仏像を当寺の仏師が二度とこのような悲劇が起こらないよう祈りを込め、災難の種を護摩の炎により消滅させ、私達人間の苦しみの身代わりとなって願いをかなえて頂けるという不動明王として、蘇らせたものであると言われている。』
出典:【不動明王の駒札】より
聖天堂の「大聖歓喜天」は、十一面観音とガネーシャ神(インド・ヒンドウ―教の神)の化身で、頭が象で首から下が人間で、二体が向い合い抱擁していることから、陰陽和合の「男女合体神」で、夫婦和合・子授けなどに霊験あらたかな秘仏である。
聖天の印である大根は夫婦和合・縁結び、巾着は財富と子孫繁栄のご利益を現わすという。
双林院の由緒は、
『当院は毘沙門堂塔頭の一院である。
毘沙門堂は、寛文5年(1665)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ、天海大僧正、公海大僧正に至って現地に再興された。
当院も同年に建立された寺院である。
当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来(藤原時代作「光坊の弥陀」と称す)を安置するが、のち明治元年に聖天堂を建立し、門主の公尊法親王ご念持仏「大聖歓喜天」を賜り本尊とした。
そのほか武田信玄や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀し、願いのかなう霊験あらたかな「山科の聖天さん」として広く信仰されている。
正面には不動堂があり、堂内で大護摩が焚ける、特別な構造をした建築物である。
比叡山の千日回峰行者であった第二十四代住職が、明治16年に比叡山無動寺より勧請された不動明王を安置する。』
出典:【護法山双林院の由緒(通称山科聖天)】より
不動堂の奥には、「不動の滝」があり小さな不動明王の石像を祀った行場となっている。
「お瀧不動さん」と呼ばれ、この瀧に打たれて身の不浄を清めるのである。
山科聖天(双林院)
京都市山科区安朱稲荷山町18-1
京都駅から、
JR琵琶湖線(東海道線)で「山科道」下車、北に徒歩20分




コメント