小町寺(補陀洛寺)には、小野小町と深草少将を供養する石塔が建っている。

01小町塚mid
小野小町は平安時代の女流歌人、というよりも、クレオパトラ・楊貴妃と並び、世界三大美女の一人といわれた美貌の持ち主であった。
出自は小野篁(おの の たかむら)の孫であると言われるが、年代が合わず信憑性は薄いのだが、それも小町をミステリアスにするひとつである。
小町の生まれは定かではなく、秋田県や京都の山科、福井越前町、福島県、神奈川県厚木や熊本県など、いずれも小野の地名が付いた所で生まれたというが、そのなかの何処であったのか、今では分かろうはずもない。
また生国とともに墓所も日本の各地にあり、何処で亡くなったのかも定かではなく、こんなところが小町の美しさの不思議をもたらしている理由であろうか。

02深草少将の碑mid
小町寺と呼ばれる寺に深草少将の石碑が建っている。
小町はその美貌と教養の高さで世の男性を虜にしたらしく、新古今集に、『おもいつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを』『いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 反してぞ着る』など、世の男どもをぞくっとさせるような歌を詠んでいる。
それに魅せられたのが、深草少将である。
深草少将は、絶世の美女、小野小町に恋焦がれ、伏見の深草の里から、小町の住む山科の随心院に(伏見からその距離、約5Km伏見街道を通り、京都医療センターの横を通って、ひと山越して、山科に向かった道。大津街道とも)百日の夜通いつめたら、その思いを叶えてあげると小町に言われ、毎夜々々、雨の日も風の日も伏見から山科の小町のもとに通うのである。これを深草少将の百夜(ももよ)通いという。
しかし、女心は裏腹で、百日も毎夜通うことは出来ず、諦めるであろうと思っていたのだが、あにはからんや毎夜々々通ってくる。
どうしようかと百日の夜が近づくにつれ、不安になる。とうとう99日めの夜が終わり、明日は百日めという前の晩、小町は神に祈り「どうか明日は大雪で、ここには来れないように」と願を掛ける。
神も無情でこの願いを聞いて、百日目に大雪を降らせ深草少将は百日目の夜を目の前にして、小町の所には辿り着けず、命を落としてしまうのである。
さも女心は非情なものだと思うのだが、昔も今もこれは変わらない女心なのであろうか。

03墨染の井mid
深草少将たる人物は、実在の人物ではなく、室町時代に世阿弥ら能作者などが、小野小町を引立たせるために創作をしたもので、この欣浄寺をその住まいとしたものだというのだが、そのモデルは、良峰宗貞(よしみねのむねさだ) といい、出家しては遍照(へんじょう)と名乗った人である。
百人一首12番に、僧正遍照として
『あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ』
と詠んだ歌が残っている。
伏見深草の欣浄寺には、少将の遺愛の井という「墨染の井」が残っており、その駒札には西条八十が詠んだ、
『通ふ深草 百夜の情 小町恋しの 涙の水が 今も湧きます 欣浄寺』
が記されている。

04塚mid
小町に因む謡曲に「通小町」と「卒都婆小町」がある。
「通小町」とは市原野で小町の亡霊に会った僧が受戒を頼まれるが、そこに深草少将が現れ受戒を妨げようとする。
僧は百夜通いの様子を小町と少将とに語らせ、それを再現してゆくのだが、百日目の満願成就に、二人は契りの盃を交わそうとするが、仏の戒めにより酒を酌み交わすことは出来ず、そのことで二人は悟りを開き救われるというものである。
また「卒塔婆小町」とは、卒塔婆に腰掛ている老婆を、高野山の僧が見咎めそれを諭すのだが逆に論じ込められてしまい、その名を聞くと小野小町だという。
その出自を語るのだが、自分を慕い九十九日目で亡くなった深草少将の霊に取り憑つかれているのだという。ような話立てである。
いずれも小町の美貌に因んだ何ともいえないせつない話である。
欣浄寺境内には、小野小町の塚と深草少将(清涼院殿蓮光浄輝大居士)の塚が並んで建っている。