さて、通称寺を何処から始めようかと考えた時に、北から南に下っていくのがいいだろうと思い、まずは洛北にある「小町寺」から始めることとする。
通称「小町寺」と呼ばれる「補陀洛寺」、小町寺と呼ばれる所以は、クレオパトラ、楊貴妃と共に、世界三大美人の一人「小野小町」が晩年を過ごしたことに因んでいる。
鞍馬街道の篠坂峠には、大念寺・小町寺・恵光寺・静林寺と寺が並ぶのだが、この地はもともと葬送の地であり、小町寺はその墓守の寺であったという。
小町寺、正しくは如意山補陀洛寺という天台宗の寺で、天徳3年(959)に清原深養(ふかや:清少納言の曽祖父)が静原に建立したのが始まりで、長く廃寺となっていたものを、墓守のために、この地に再建されたものである。
小町寺の名は、謡曲「通小町」のなかで、小町の亡霊に「己が名を、己とは言はじ、すすき生ひたる、市原野に住む姥ぞ」と謡わせて以来、この寺は小町寺と呼ばれるようになったという。
本堂は平成11年に再建されたものだが、平安末期に造られた本尊の「阿弥陀如来」が安置され、その横に絶世の美女と言われた小野小町の、年老いて痩せ衰えた「小町老衰像」が供にある。
駒札によれば、
『小町寺とは俗称で如意山補陀洛寺(ふだらくじ)という。
遠く陸奥路まで漂泊の身を運んだ一世の美人小野小町も、年老いて容色も衰えた身を、ここ市原野に、昔、父が住んでいたなつかしさから、荒れ果てた生家を訪れ、そこで朽木の倒れるように、あえなくなるが、葬う人とてもなく、風雨に晒され小町の髑髏から生い育った一本の芒(すすき)が風にふるえていた。
この伝話に因んで穴目のススキ、老衰した小町像や、少将の通魂塚が作られている。』
出典:【小町寺の駒札】より
境内の本堂横に、小町姿見の井戸がある。今は枯れているのだが、小町がその水に姿を写して、その衰えゆく姿を見て何を思ったのであろうか。
姿見の井戸はまた、山科の随心院にもあり、小町は井戸に姿を写して化粧をしたという。
井戸に写る姿を見て、かの
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」という歌を詠んだのであろうか。
小町寺(補陀洛寺)
京都市左京区静市市原町1140
京都駅からは、
その1・・・JR奈良線で「東福寺」(所要:2分、150円)/東福寺から京阪電車で
「出町柳」(所要:19分、27円)/出町柳から叡山電鉄で「市原」(所要:
22分、380円)下車、徒歩10分<合計53分、800円・乗換時間含
まず)
その2・・・A2乗り場から「4」「7」系統で「出町柳」(所要25分・28分、23
0円)/出町柳から叡山電鉄で「市原」(所要:22分、380円)下車、
徒歩10分<合計57分、610円・乗換時間含まず)
その3・・・地下鉄烏丸線で「国際会館」(所要20分、290円)/国際会館前から京
都バスで「小町寺」(所要10分、230円)下車すぐ<合計30分+待ち
時間、520円・乗換時間含まず)



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