この世とあの世の境目に建つという「六道珍皇寺」ここに小野篁が冥界に行くために使っていた井戸がある。

01六道珍皇寺mid
謡曲の熊野(ゆや)には、遊女の熊野が母の病を気にしながら、平宗盛と清水寺へと花見に出かけるくだりがあり、八条高倉の宗盛の屋敷から松原橋を渡り、清水寺へと一直線という途中に「六道の辻」を通るのだが、この場面が
『河原おもて過ぎ行けば、急ぐ心の程もなく、車大路や六波羅の地蔵堂よと伏し拝む・・・げにや守りの末すぐに、頼む命は白玉の、愛宕の寺も打ち過ぎぬ。
六道の辻とかや、げに恐ろしやこの道は冥土に通ふなるものを、心ぼそ鳥辺山、煙の末もうす霞む・・・』と謡われ、六道の辻が冥土への迷い道として知られていることが判る。

02冥土への井戸mid
そんな六道の辻にあるのが六道珍皇寺で、本堂の後ろの庭に、小野篁(たかむら)が冥界と行き来する時の入口である、井戸が残っている。
小野篁はその昔、宮中に仕える官吏の人であったが、この六道珍皇寺の冥界に続く井戸から夜毎、高野槙の枝を掴んで井戸を下り、冥府で閻魔大王に仕えていたとも、また亡き母に会っていたとも云われている。
その井戸は、今は開かずの井戸として冥界の入口は封鎖されているのであるが、今後、また誰かがこの井戸を通り冥界と行き来するのであろうか。

03黄泉かえりの井戸mid
嵯峨嵐山の清凉寺の境内、本堂の西隣に「嵯峨薬師寺」がある。
薬師寺は度々火災に会うが、鎌倉時代に北条時頼によって再興され、その後再び焼失するが、江戸初期に大覚寺の宮尊性親王により再建されたのが、現在の本堂である。
本堂の前には、「生の六道」小野篁公遺跡という石碑が建っているのだが、ここが、小野篁が冥土から戻る出口であった。
ある夜、六道珍皇寺の冥土通いの井戸から冥府に赴いた篁は、猛火の中で苦しむ亡者の身代わりとなり、焼かれている地蔵菩薩の姿を見て、その尊さに心を打たれ、その姿を刻した地蔵尊を、黄泉帰りの井戸がある福正寺に、お祀りをする。
冥土からこの世に戻ることを「生まれる」と考え、祀られた福生寺が冥府「六道」からの出口であることから、この出口を「生六道(しょうろくどう)」といい、篁の刻した地蔵菩薩像を「生六道地蔵菩薩」と言う。
福正寺は明治になって廃寺となり、明治13年(1880)に薬師寺に合併され、その時に、篁の「生六道地蔵菩薩」も薬師寺に移り、ここに祀られることとなる。
福正寺にあったと云う「生の六道」の空井戸は、寺ともども現在は残っていないのである。

ところが、平成23年(2011)に六道珍皇寺の境内の北東で、古くから伝えられていた「黄泉かえりの井戸」が発見されたのである。
小野篁の冥土からの出口は、長らく福生寺の「黄泉かえりの井戸」が定説になっていただけに、にわかには信じ難いものがあるのだが、これは小野篁さんに聞くほかないのではとおもうのだが・・・