地下鉄烏丸線の「鞍馬口」の1号出口を出て、歩いて3分ほどで、黄檗宗の尼寺「瑞芝山閑臥庵(ずいしざん かんがあん)」がある。
中国風の門を入ると「北辰鎮宅霊符神」を祀る「鎮宅堂」がある。
この神は、京の艮(うしとら)に鎮座する貴船神社の奥の院に祀られていたものを、108代・後水尾天皇がこの地に勧請したものだという。
北辰鎮宅霊符神とは、平安時代の64代・円融天皇が、方除け・厄除けの神として祀ったものだといい、陰陽師の安倍清明に開眼させたという金剛の神像で、高さ1.35m、北辰(北極星)鎮宅(家の凶運を抑え、家内安全を願う)の名を持ち、天の気(十千)と地の気(十二支)の交わりにより、人間の行動を予見する「九星占い」の陰陽師道の最高、最強の神とされる。
駒札によれば、
『山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺である。
もとは梶井常修院の宮の院邸であったが、江戸時代前期に後水尾法皇が、夢枕に立った父・後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護のために貴船の奥の院より鎮宅霊符神をこの地に勧請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師が開山となって寺としたのが当寺の起こりである。
北辰鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神である。
御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としたほか、法皇は、春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、秋の句
「明けぬとて 野辺より山に 入る鹿の あとふきおくる 萩のした風」
など、御宸翰(ごしんかん)その他が今も伝えられている。
また、法皇も好んだ黄檗宗特有の精進である普茶料理が、今は教化の一部として一般に饗されている。』
出典:【閑臥庵の駒札】より
この寺院は拝観時間が昼の13:00から、夜の22:00までと京都の社寺では珍しく通年を通して、本堂・庭園のライトアップが行われている。
昼間だけでなく、夜の20:00まで拝観出来るという寺院である。
またここでは、普茶料理なるものを味わうことが出来るという。
普茶料理とは、中国の禅僧・隠元が江戸初期の承応3年(1654)に日本に渡り、寛文元年(1661)、宇治に満福寺を開くことになる。
この隠元が日本にもたらしたものに、インゲン豆、孟竹、西瓜、レンコンなどがあり、それと共に「素菜」(中国の精進料理)を伝えた。
この素菜こそが普茶料理であり、4人で卓を囲み、上下の隔てなく料理を分け合って食べるというものである。
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