地主神社の創建は古く江戸時代までは清水寺の鎮守社で、地主権現と呼ばれていたが、明治の神仏分離により清水寺から独立し、地主神社と名を改めている。

01拝殿mid
地主神社の謂れを駒札にみると、
『清水八坂一帯の産土神で、元は地主権現と呼ばれ、明治維新後に現在の名に改められた。
祭神として、大国主命(おおくにぬしのみこと)とその父母神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛名田姫(くしなだひめ)ら五柱を祀る。
創建は奈良時代以前であり、平安遷都と共に皇室をはじめ広く信仰を集めた。
天録3年(972)の臨時祭には、円融天皇が行幸し、その後も歴代天皇の行幸が伝えられている。
現在の社殿は、清水寺本堂と同様、寛永年間(1624~1644)の徳川家光による再建で、桃山時代の様式による華麗な建物である。
本殿、拝殿、総門はいずれも重要文化財に指定されており、拝殿天井の龍の画は狩野元信の筆と伝えられている。
境内には桜樹が多く、「地主の桜」と呼ばれ、古くから桜の名所として有名で、謡曲「田村」、「熊野(ゆや)」、小歌集「閑吟集」などにもしばしば登場する。
また、縁結びの神として広く崇敬を集めている。
京中へ 地主の桜や 飛胡蝶  其角(きかく)
地主からは 木の間の花の 都かな  季吟』
                          出典:【地主神社の駒札】より

02恋占いの石(1)mid
また先の三神と共に櫛稲田姫の父母である、足摩乳命(あしなずちのみこと)と手摩乳命(てずなちのみこと)も祀られていて、縁結び・子授け・安産にご利益がある神社で、正殿前には「恋占いの石」なるものがある。
左右に14mほいど離れた所に石が置かれていて、目をつぶって石から石へと辿り着くと、恋が成就するというものである。
不思議なことに、この石はこの為に置かれたものではなく、縄文時代の頃からここにあったものだということが、近年の研究で明らかになったという。

03恋占いの石(2)mid
駒札には、
『恋占いの石は、本殿前の左右にある守護石で、想う人の名を念じ両目を閉じて反対側の石にたどり着くことができれば、恋の願いが叶うというものである。
一度で出来れば願いも早く叶い、出来なければ願いが叶うのも遅くなるという。
また友人などのアドバイスを受けると、願いを叶えるのにも人の助けが必要になると云われている。』
                         参照:【恋占いの石の駒札】より