前に油小路通を歩いた時に見かけた「京町家」を何軒か紹介してみよう。
まずは油小路通錦小路下るにある「野口家住宅」。
野口家は「表屋造り」の形式で、通りに沿って、表から店、台所、座敷の3室を一列に配置した「通り庭」形式の規模が大きくなったもので、間口が二列に広がり、奥行きが拡大して四室が並ぶ。
店と奥の座敷や台所が分かれたため、間に玄関庭などが配置され、家の中央部の採光や通気などのために、途中に小さな坪庭などが置かれている。
そして野口家には、大屋根と小屋根の間に挟まれた壁に漆喰で塗り込めた連子格子の「虫籠窓(むしこまど)」があり、物置の空気抜きなどとして使われている。
野口家の屋根の上には鍾軌さんが飾られている。
鍾馗さんは中国・唐の第六代皇帝「玄宗」(在位:712~756年)の時代に、鍾馗が夢に現われて鬼を退治し、玄宗皇帝の病を治したという伝えから、中国で神として祀られるようになった。
古来、鍾軌さんは厄除けの神であり、京の町家では一階の瓦屋根に載せて、魔除け・厄除けとして飾られるのである。
その謂れは、京の三条に薬屋が店を構え屋根に大きな鬼瓦を置くと、向いの奥さんが病に斃れ、その原因が薬屋の鬼瓦にあたった悪禍が跳ね返り自身の家に入り込む為だと分かった。
そこで鬼より強い鍾馗さんを造り、一階屋根に鬼瓦と対面して置いたところ、たちどころに病が治ったということから、京都では鍾馗さんが置かれるようになったという。
駒札には、
『野口家は、代々呉服賞を営んできた旧家である。
現在の主屋は、元治元年(1864)の大火後に再建されたもので、店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した「表屋造り」の形式となっている。
主屋の表構えは、店舗棟の北側に高塀を接続させた構成である。
内部では特に座敷が注目される。
野口家文書によると、座敷はもと伏見の小堀屋敷にあったとされるものを、明治4年(1871)に伏見の豪商松屋彦兵衛から購入、移建したもので、十二畳半の主室と次の間から成る。
主室は一間半の床の間と一間の違棚をそなえ、端正ななかにしゃれた数奇屋風書院の構えをもち、長押の釘隠し金物や天袋の引手金具の意匠に、小堀遠州との関わりの深さを思わせる。
この住宅は、京町家の典型例の一つとして貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。』
出典:【野口家住宅の駒札】より


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