御室にある仁和寺には、遅咲きの「御室桜」が有名で、川端康成の小説「古都」には、主人公の千重子の一家が仁和寺を訪れ「御室の桜も一目見たら、春の義理が済んだようなものや」という台詞があり、京の桜の最後を飾るのが仁和寺の「御室桜」であり、京の人は、この桜を見納めにして、春から夏へ季節の移り変わりを感じるのである。
駒札には、
『真言宗御室派の総本山で、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
平安時代前期に光孝天皇が創建に着手した後、仁和4年(888)に宇多天皇が完成させ、仁和寺と名付けた。
宇多天皇は退位の後、出家して、仁和寺内に僧坊を営み、30余年間修行に専心したため、法皇が御座する室(僧坊)ということから、「御室」が後に仁和寺周辺の地米となった。
以後、明治維新まで約千年間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝えたが、その間、応仁の乱の戦火で全伽藍を焼失し、双岡西麓に仮御所を設けた時期もあった。
現在の伽藍は、江戸時代初期の寛永14年(1637)に徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿を移した金堂(国宝)をはじめ、御影堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。
仁和寺境内は仁和寺御所跡として史跡に指定されている。
西門から成就山の麓にかけて、四国の八十八カ所霊場を縮小した「御室八十八カ所巡りの霊場」があり、中門の左手には、遅咲きの桜の名所として有名な「御室桜」(名勝)が見られる。』
出典:【仁和寺の駒札】より
中門を入ると左手に「御室桜」と呼ばれる桜の古木畑が広がる。
御室桜は丈が低く、鼻の低いお多福と花の高さを掛けて「お多福桜」とも云われている。
樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためと云われていたのだが、近年の調査で、地質が岩盤ではなく粘土層だということが判明した。
ただ粘土層でも深く根を張れないことは同じで、桜の木が大きくならない要因だという。
『御室桜は遅咲きの桜として知られているが、その数200本で、江戸初期にはすでに現在の場所に植えられていたようである。
また江戸時代の中期には観桜の名所としても知られており、丈が低く根元から枝を張る御室桜と、その満開の花を愛でる人々の風景が『都名所図会』にも紹介されている。
大正13年(1924)、国の名勝に指定された。
※都名所図会=安永9年(1780)、秋里籬島(あきさとりとう)、竹原俊朝斎により刊行された本。多数の挿絵が庶民の心を捉え人気となる。』
出典:【名勝御室桜の説明文】より
『史蹟名勝天然物保護法によって指定されている仁和寺境内の桜は、灌木状であるのが特徴で、花は最も優美にして、匂桜である。
現在の種類は、太白・有明(単辨と八重とあり)車返・御衣黄・稚子桜・桐ケ谷・殿桜・普賢像・乙女桜・大内山桜・浅黄桜の外、里桜に属するもの十三種ある。』
「御室の桜やな」とは、もうお分かりだと思うのだが、御室桜は樹高が低く花を低い所に咲かせることから、「花が低い」ことにかけて「鼻が低い」と言っているのであり、また別称として「お多福桜」とも呼ばれることから、「お多福やな」とも言われているのである。
昨今ではセクハラだと言われそうだが、俗謡に「わたしゃお多福 御室の桜 鼻が低ても 人が好く」と唄われるように、鼻が低くても、お多福でも、遅咲きであっても、御室の桜のように気高く清廉さが人として大切なことであり、それが人に好かれることなのだという意味で、「美人は三日したら飽き、ブスは三日したら慣れる」とあるように、人は外見ではなく心の美しさが大事なのだということを語っているように思うのである。
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