11月末に四条大橋南詰にある「南座」に「吉例顔見世興行」に出演する、東西の歌舞伎役者の名前が書かれた「まねき看板」が掲げられると、京都の人は師走を肌で感じることとなる。
まねき看板は、長さ1.8m、幅32cm、厚さ3.3cmのヒノキの板に、墨に清酒を混ぜ「勘亭流」という独特の文字で役者の名前が書き込まれる。
書き終わると、11月末に「まねき上げ」となる。
南座の正面に掲げられる「まねき」は、40~50枚ほどで、右に関西、左に東京の役者の名が並ぶ。
顔見世興行は、歌舞伎の世界では、役者の披露興行で、元禄時代(1688~1704)に定着したという。
江戸時代、役者は11月から翌年10月までの1年契約であり、11月に新しい役者を披露する顔見世が行われたといい、それが今日まで続く「吉例顔見世興行」の元となったと言われている。
四条大橋の東詰南側に「南座」がある。江戸時代の元和年間(1615~24)に、京都所司代が四条通を挟み、7つの芝居小屋を公認したことに始り、その中で唯一、今に残るのが「南座」なのである。
正式には、「京都四条南座」と言い、江戸時代から続く、日本最古の劇場である。
江戸の初期に七座あった芝居小屋が、火事などで焼失し江戸の末期には北座と南座の二座を残すのみとなり、その北座も、明治25年(1892)に、四条通に電車を通すために閉鎖され、南座のみとなってしまう。
その後、松竹の所有となり、昭和4年(1929)に桃山風の外観をもった鉄筋コンクリート製の5階建の建物が建てられた。以来、祇園のランドマークとして400年に亘り、今日まで歌舞伎が上演されている。
また12月には、吉例顔見世興行の時は、役者の名前を書いた「まねき」という看板が掛かり、京の年末の風物詩となっている。
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