「都をどり」が始まると京に春が来る。
都をどりは、4月1火から30日にかけて行われる、祇園甲部の春の公演である。

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「都をどり」の始まりは、明治2年(1869)に都が東京に移り、沈滞した京都を盛り返そうと、京都府知事の槇村正直が、明治5年(1872)3月に、「第1回京都博覧会」を実施することになり、この余興として祇園の芸舞妓が総出で出演する踊りが企画されるのである。
会場は、祇園新地新橋の「松の屋」で、振り付けは井上流三世、井上八千代(片山春子)が担当し、伊勢古市の遊郭で踊られる「亀の子踊り」(伊勢音頭の総踊り)を参考にし、花街にはなかった総踊りの形を取り入れ、その華やかさが評判となり、「都をどり」と名付けられ、祇園甲部の春の踊りとして、現在まで綿々として受け継がれているのである。

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京の花街では、
4月1~30日「都をどり」(祇園甲部)
11月1日~10日「祇園をどり」(祇園東)
4月第1日曜から2週間「京おどり」(宮川町)
5月1日~24日「鴨川をどり」(先斗町)
4月15日~25日「北野をどり」(上七軒)
の舞踊公演が行われている。
祇園や先斗町、宮川町では「をどり」と「を」の字が使われているのだが、芸舞妓の踊る姿が「を」の字に似ているからだと言われている。
ちなみに宮川町では「おどり」と「お」が使われているが、宮川町は若衆かぶきに端を発していることから「おどり」となったのではと推察している。

「都をどりはヨイヤサァー」の掛け声とともに、京の町に春が来るのである。