河原町通竹屋町東入ルに、石長本館松菊園という旅館がある。この辺り一帯が木戸孝允邸の跡であり、彼はこの地にて病没する。
石長本館の北側、竹屋町に「お宿いしちょう」がある。ここにも【木戸孝允旧邸跡】の石碑が建っていて、この辺りもまた木戸邸の屋敷が建っていた所である。
木戸邸はもともとは近衛家の河原町の別邸で、明治初年に孝允が譲受して京都の別邸としている。
碑文には、『明治十年五月十九日、孝允病篤く聖賀の臨幸有り、同月廿六日薨去す。
時に四十五才文部大臣聖蹟に指定し、記念館として保存される。
当邸は元近衛家河原御殿なりしを、明治初年孝允譲受京都別邸となす。』
出典:【木戸孝允旧邸跡の碑文】より
さらにその奥、鴨川に面して建つ、市職員会館「かもがわ」の前にも「明治天皇行幸所木戸邸」の石碑が建つ。
石長本館前に土手田通から鴨川までの一帯が木戸邸の旧宅だったのである。
ここに、この碑が建つのは、明治10年(1877)2月に西南の役が起こると、それを案じ兼ねてからの脳発作が悪化し、5月19日に明治天皇がこの地に木戸を見舞われるも、「西郷もいいかげんにしないか」との言葉を残し、5月26日45才でこの世を去るのである。
東山の霊山墓地(霊山護国神社)の一番の高みに木戸孝允(桂小五郎)と木戸松子(幾松)の墓が並んで建っている。
京の三本木の芸妓・幾松の時に、桂小五郎と出会い、小五郎苦難の時代を共に過ごし、明治維新を向かえ正妻となり、木戸松子を名乗り、勤皇の志士たちが眠る霊山の小五郎の側で眠っているのである。
一方、坂本龍馬の妻お龍さんは、その晩年は恵まれず、霊山にある坂本龍馬の隣には共に凶刃に倒れた中岡慎太郎が眠り、お龍さんは遠く離れた神奈川の横須賀にある、信楽寺に葬られ近年この霊山に分骨されたのだが、その石碑は霊山にはないのである。
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