誓願寺にはもうひとつ、胎内に五臓六腑がある阿弥陀如来があったという不思議がある。

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日本で初めて人体解剖を行った山脇東洋の夢に、「無実の罪で死刑にされ、さらに解剖で五臓六腑も取られ、このままでは成仏できない。」と自身が解剖した罪人が現れる。
東洋はこの罪人の霊を鎮めるために、胎内に五臓六腑がある阿弥陀如来像を作り、菩提寺である誓願寺に寄進するのである。
しかしこの阿弥陀如来像は、元治元年(1864)の蛤御門の変で焼失し、現在は高さ4.85mの金色の阿弥陀如来坐像が安置されている。

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謡曲「誓願寺」の駒札には、
『一遍上人が熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生(けつじょうおうじょう)六十万人」の札を弘めよとの霊夢をみる。
都へ上り、念仏の大道場、誓願寺で御札を配っていると、一人の女性が御札の言葉を見て、「六十万人より外は往生できないのでしょうか」と問う。
上人は、「これは霊夢の六字名号一遍法、十界依生(えしょう)一遍体、万行離念一遍証、人中(にんちゅう)上々妙好華の四句の上の字をとったものであり、”南無阿弥陀仏”とさえ唱えれば誰もが必ず往生できる」と説く。
すると女性は有り難がり、「本堂の「誓願寺」の寺額に替え、上人の手で「南無阿弥陀仏」の六字の名号をお書き下さい。これはご本尊阿弥陀如来の御告げです。私はあの石塔に住む者です」と、近くの和泉式部のお墓に姿を消す。
一遍上人が、「南無阿弥陀仏」の名号を書いて本堂に掲げたところ、どこからともなく良い香りがし、花が降り、快い音楽が聞こえ、瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞の菩薩降となった和泉式部が現れる。
誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起が語られ、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎される模様などを描く荘厳優美な舞が舞われ、最後は菩薩聖衆みな一同に本堂の六字の額に合掌礼拝するのであった。』
                       出典:【謡曲「誓願寺」の駒札】より

また誓願寺の駒札には、
『天智天皇6年(667)天皇の勅願により創建された。
本尊の阿弥陀如来坐像は賢問子・芥子国の作であった。
もとは奈良にあったが、鎌倉初期に京都の一条小川(こかわ:現・上京区元誓願寺通小川西入)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在地に移された。
その当時は京都有数の巨刹の規模を有し、表門は寺町六角に面し、裏門は三条通に北面し、境内地六千五百坪には多数の伽藍を有し、十八ケ寺の山内寺院を擁していた。
清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺としても名高い。
また源信僧都は、当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。
浄土宗元祖の法然上人が興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になったという。
現在は、法然上人の高弟・西山(せいざん)上人善恵房證空の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山である。』
                           出典:【誓願寺の駒札】より