坂本龍馬が江戸に遊学した嘉永6年1853)に、田野村岡地に安芸奉行所を
設けている。
現在、高知県立中芸高等学校の建つ場所である。
この奉行所は安政2年(1855)江戸に留学していた岩崎弥太郎に、父が投獄
されたとの知らせが入り、弥太郎は急遽、土佐に帰り安芸奉行所に父の免罪を訴
えるのだが、聞き入れられず、業を煮やした弥太郎が奉行所の門に「官は賄賂を
もって成り、獄は愛憎によって決す」と落書きをするのである。
このことで弥太郎は投獄をされ、生まれ故郷の安芸郡井口村から追放されること
になる。
高知の城下に出、吉田東洋の小林塾に入り、後藤象二郎らの知遇を得る。これが
岩崎弥太郎が世の出る一歩だったのである。

中芸高校の敷地に建つ「安芸郡奉行所並田野学館跡」には、
跋文(ばつぶん:本文の終わった後に記す文)
土佐藩は嘉永六年安芸郡奉行所を田野村岡地に設け、政治軍事を行わせることに
なり、此処に東西145米南北109米の場所を造り、役所、武道館、舎宅、獄
舎等を建てた。
田野学館は、安政元年に建立され高知の致道館と並び土佐の藩校として栄え、清
岡道之助、清岡治之助をはじめ中岡慎太郎,新井竹次郎、石田英吉、仙石貢、村
木雅美等、数多くの人材を輩出し、中芸高等学校の源流となった。

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