京都に行くことを「上洛」といい「上京」とは言わない。
「上京」といえば、東京に行くことを意味することになる。
何故、京都に行くことを「上洛」と言うようになったのだろうか。

01二条城mid
平安京は中国の「長安」と「洛陽」を手本として造られた都であり、朱雀大路の西側を「右京」、東側を「左京」に分け、右京は「長安」の都を、左京は「洛陽」の都を真似て造られ、
延暦23年(803)遣唐使として唐に渡ったことのある菅原清公(きよきみ:770~842、菅原道真の祖父)の具申により、右京を「長安城」、左京を「洛陽城」という名が付けられた。
しかし平安京の右京は湿地帯が多く、住むには適さない土地で、金と地位がある人々は右京を避け左京に住むようになり、左京が平安京の中心として栄えてゆくのである。

02烏丸今出川mid
左京が栄えたのに対し、長安の都を真似て造られた右京は衰退し、それと共に「長安」の名は、いつしか忘れ去られてゆくのである。
一方、「洛陽」の都を真似た右京は栄え、いつしか洛陽の「洛」が残り、爾来、京の中心部を「洛中」と呼ぶようになり、「洛都」や「京洛」などとも言うようになり、京都の中心部を「洛中」といい、その東西南北を「洛東」「洛西」「洛南」「洛北」とも呼ばれるようになり、それが、現在まで「京」が「洛」と言われるようになった理由なのである。