平安京が始まった794年を「鳴くよ(794)鶯、平安京」と覚えたものである。
平城京から長岡京に遷り僅か10年後の延暦13年(794)に、平安京へと遷都されるのである。
以来1200年もの長きに亘り、都として続くのである。

01大極殿跡
平安京遷都前の京都は、大和の平城京の背後にある国という意味で「山背国(やましろのくに)」と呼ばれていたのだが、平安京に遷都した桓武天皇が「この国、山河襟帯(きんたい:山が襟(えり)のように囲み、川が帯のように流れるさま)して、自然に城をなす」と宣せられ、山城国と改められる。
平安京は、東西4.7Km、南北5.2Kmで、平安京の南端に二層の羅城門を構え、そこから道幅84mの朱雀大路(現、千本通)が北に大極殿まで伸びていた。
朱雀大路を中心に東側を「左京」、西側を「右京」と呼び、南北に33、東西に39の通りを作り、条坊制という碁盤目状の町であった。

02鴨川mid
何故、平安京が1200年もの長い間、都として続いたのかと言うと、平安京は、北に玄武が守る丘陵「船岡山」があり、南に朱雀が守る窪地「巨椋池」(現在は埋め立てられて池はない)、東に青龍が守る流水「鴨川」が、西に白虎が守る大道「山陰道」の四神に守られ、三方山に囲まれて南が開けた山紫水明の地で、「四神相応」に合致した理想の地だったのである。