「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
と、平家物語の冒頭にあるように、平家の繁栄も長くは続かないのである。

01宇治橋mid
治承4年(1180)に、以仁王が源頼政の助成を受け平家打倒の挙兵をするも、宇治橋の戦いで敗れ、平等院で戦死をするのだが、これが発端となり治承・寿永の乱(源平合戦)が勃発する。
東国でも反平家の武士が反乱をお越し、富士川の戦いで平家は戦うことなく敗走する。
そんな中、治承5年(1181)に平清盛が病没するのである。

02クスノキmid
その後、各地で源氏の勢力が平家打倒の旗挙げをし、治承2年(1183)源義仲(木曾義仲)が都に迫ると、平宗盛は安徳天皇と三種の神器を携え、栄華の果てを極めた六波羅の屋敷に自ら火を放ち、都を落ちて行くのである。
以後、一ノ谷、屋島と戦いを続け、ついに壇ノ浦にて敗れ、一族一党入水し、ここに平家は滅亡するのである。
壇ノ浦の戦いでは、当初平家が有利に戦いを進めたのだが、潮の流れ目が変わったことにより敗れたとあるのだが、一説には源氏が敗色濃いとみて、平氏の船頭を射殺したことにより勝敗が決したという。
当時、非戦闘員である船頭は殺さないという不文律があり、それを破ってまで勝ちにいった源氏の政権が長続きしなかったのは、平氏の怨念がそうしたのであろうか。