清水寺への参道はいろいろある。
安井金毘羅宮を東大路通に出て鳥居を潜り、維新の道を登り風雅堂のあるところで南に曲がり、二年坂を登ると八坂の塔からの道に突き当たる。
そのまま歩くと三年坂である。

01二年坂mid
三年坂については前回に述べたので、ここでは二年坂について・・・
八坂の塔から東に200mほどの左側に、二年坂がある。
多くの人は、八坂神社や高台寺などを訪ねてから、二年坂を登り、八坂道を三年坂へと向かう。
何故この坂が二年坂と呼ばれるようになったかというと、
大同2年(807)に坂が整備されたのでとか、三年坂の下にあるので二年坂と呼ばれるようになったというのだが・・・
京の町では、二年坂で転ぶと二年で、三年坂で転ぶと三年で亡くなるという噂があって、この坂を登る時は転ばないようにと心掛けている。
観光客も、この噂を知ってか知らずか、急ぐ人もなく心持ち慎重に坂を登っているように見える。

02夢二mid
清水さんへの参道である二年坂(二寧坂)には竹久夢二が大正5年(1916)に東京から逃げるようにして京都に移り住むのだが、笠井彦乃が訪れるまでを過ごした場所があり、今は夢二の専門店「港屋」という店がある。
夢二が彦乃が京に来るまでの間を過ごしたのがこの場所で、駒札によると、
『明治、大正、昭和の三代にわたり、波乱の人生を送った不世出の詩人、画家・竹久夢二は、大正3年秋頃、笠井彦乃と出会い、運命的な恋におちた。
彦乃は、東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父親は、後継者であった娘の恋に反対であった。
大正4年に結ばれた2人は互いに「山」「川」と呼び合いつつ、人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついには大正5年、京都に逃れた夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短くも至福の日々をこの地で送った。
夢二には、彦乃が訪れるまでの数ヶ月をこの家で過ごしている。』
                       出典:【竹久夢二寓居跡の駒札】より