清水寺といえば京都でも有数の観光地として知られている。
東大路通から東に清水坂を登り切った所に「清水寺」がある。
「清水」と書いて何と読むだろう。
普通は「しみず」と読むのが一般的だが、この寺は「しみずでら」ではなく、「きよみずでら」と読む。
これは清水の舞台の南側の下にある「音羽の滝」が清い水が湧き出る水だとに由来して「清水寺」を「きよみずでら」と呼ばれるようになった。
清水寺は平安京以前からこの地にあったといわれ、宝亀9年(778)大和国高市郡の子嶋寺(南観音寺)の僧・延鎮が、お告げにより霊泉を求め、音羽山中腹の霊水が湧く所に来ると、白衣の老人が修行をしていた。
老人は延鎮に「この木で観音像を造りお堂に祀れ」と告げた。
延鎮はその老人が観音様の化身と知ると、霊木に観音像を彫り堂宇に安置したのが、清水寺の起源だという。
宝亀11年(780)坂上田村麻呂が音羽の滝で修行中の延鎮に遭い深く帰依して、自分の八坂の邸宅を捨て堂舎を建て、北観音寺と号した。
桓武天皇の大同元年(806)には、境内から湧く水が観音信仰の黄金水、延命長寿の霊水として尊ばれ「穢れを除き、身を清める水」ということから、北観音寺から清水寺に改められたという。
嵯峨天皇の弘仁2年(811)に鎮護国家の道場となり、それより歴代皇室の帰依を受けることとなる。
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