京都御苑の北側を東西に通る「今出川通」と、八坂神社の前を通り南北に通る「東大路通」とが交差するするのが「百万遍」の交差点である。
百万遍の交差点には、今出川通を挟んで北に知恩寺、南に京都大学があるのだが、この辺りの地名は「左京区田中門前町」といい、百万遍という地名ではない。
しからば百万遍の名は何処から来たのかというと、実は知恩寺の別称が百万遍であり、この寺がここにあったことから、この辺りを「百万遍」と呼ぶようになったのだという。
平安時代初期に、円仁(慈覚大師)が創建した寺に、浄土宗開祖の法然が住み布教活動を行ったが、法然亡き後、弟子の勢観房源智がその意思を継ぎ、御影堂を建立し「法然上人の恩を知る寺」との意から「知恩寺」と名付けたという。
では何故、知恩寺が百万遍と呼ばれるようになったのか・・・
元弘元年(1331)京に疫病が流行った時に、知恩寺第8世の善阿空円上人が7日間、百万回の念仏を唱え、疫病を鎮めたという。
時の後醍醐天皇が、これに対し百万遍の称号を与えたという。
その後、室町時代に相国寺建立の為に、油小路一条(この辺りに元百万遍という地名が残ろ)に移され、さらに寛文2年(1662)に現在の所に移っている。
知恩寺
百万遍「知恩寺」 : 京都より愛をこめて
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