京都の中心部を東西に走るのが四条通であり、その通りの西大路四条に「西院」の駅が二つある。
一つは、阪急京都線の「西院」、もう一つが、京福嵐山線の「西院」の駅である。
この駅名は、駅のある地区の西院に由来しているのだが、阪急京都線の「西院」は「さいいん」と読み、嵐電嵐山線の「西院」は「さい」と読む。
京都駅から市バスの、26・28・205系統に乗り「西大路四条」で降りると交差点の東西角に、阪急京都線の「西院」の駅がある。
「さいいん」と読むこの駅は、相対式2面2線の地下駅で、昭和3年(1928)に、大阪高槻から延伸し終着駅として開業をする。
昭和6年(1931)に、現在の大宮駅まで延伸される際に、西院駅の西(大阪より)から、電車は地下を走るようになり、ここから四条まで電車は、四条通の下を走ることになる。
この地下路線は、関西初であり、土木遺産として貴重なものである。
阪急京都線の「西院」の駅から四条通を北に260m、5分ほど歩いた所に、嵐電の「西院」の駅があったのだが、平成29年(2017)3月に、西改札口しかなかったものを、北改札口で嵐電の四条大宮行きに、南改札口で嵐山・帷子ノ辻行に接続可能なように改良をされている。
「四条大宮」を出ると次は「西院」である。かってこの間に「壬生」という駅が存在したのだが、乗降客が少なくなり廃駅となってしまった。
嵐電の西院は「さい」と読み、相対式の2面2線の地上駅のホームであり、この駅では、阪急西院の駅と接続する。
嵐電の駅名解説によれば、
『平安京の頃、駅から西へ200mの所に佐比大路(現在の佐井通り)があり、この佐比大路と四条大路(現在の四条通り)の交差点を北へ100m行ったところに淳和(じゅんな)天皇の離宮「淳和院」があった。
この離宮が皇居の西の方角に当たることから、別名西院(さいいん)と呼ばれ、付近一帯の地名になった。やがてそれが佐比大路に当たることから「さい」とも呼ばれるようになった。
また、平安京初期、この辺りは風葬の地と定められ、当時、ここに川が流れており、広い河原となり、人々は西院(さい)の河原と呼んでいた。それが、地蔵和讃(じぞうわさん)の賽の河原として、信仰を集めた。』
出典:【嵐電観光マップ 西院のHP】より
阪急電車の西院辺りは、淳和天皇の離宮である「淳和院」があった所で、西大路四条の交差点に建つ高山寺の門前に「淳和院跡」の石碑が立っている。
内裏の西にあったことから「西院」と呼ばれ、これがこの辺りの地名になったのだと言う。
「西院」が、こうした名の由来であることから、「西」があれば、その対となる「東」の「東院」があってもいいのだが、京の町を探しても「東院」という名はどこにも見当たらない。
「西陣」と「東陣」のように、元々あった地名が無くなったのではなく「東院」という名は、始めから存在しなかったのである。
また西院は「賽の河原」の「賽」に由来するという。
賽の河原は、親より先に亡くなった嬰児が、この河原で父母の回向の為に、一つ二つと石を積むのだが、地獄の鬼により、積んでは崩され、崩されては積むという試練が与えられるのだが、そこに地蔵菩薩が現れて救いの手を差し伸べるのである。
「賽の河原」は「西院の河原」とも「斎院の河原」ともいうのだが、西院(さい)という呼び方が「賽の河原」を思い浮かべるということから、西院(さいいん)とよぶようになったのだという。
このように西院は淳和院の西院、西院の河原の西院に由来していて、初めから東院という地米は存在しなかったのである。




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