太左衛門橋から北に、明治8年(1875)に坂口うしが置屋「大和屋」を宗右衛門町に開業をする。明治43年(1910)に、三代目の阪口祐三郎が大和屋芸妓養成所を創設し、多くの名妓を育てあげた。その一人として良く知られている人物が、武原はん(明治36年~平成1 ...
三ツ寺筋(道頓堀)
三津寺というお寺があることから、その名が付いた「三ツ寺筋」。宗右衛門町通の一つ北にある通りで、ここも飲食店がひしめいている。大阪の通りの呼び方として、南北の通りを「筋(すじ)」と呼び、東西を「通(とおり)」と呼ぶ。「筋」と呼ばれる通りには、四ツ橋筋・御堂 ...
ドンキの観覧車(道頓堀)
太左衛門橋から道頓堀川を西に眺めると、激安の殿堂ドン・キホーテの道頓堀店がある。道頓堀川に面した店舗の壁面には、平成17年(2005)の設置時には話題を集めた「えびすタワー」という観覧車が回っていて、高さ77mで楕円形のループを描いて回る観覧車である。ゴ ...
とんぼりリバークルーズ(道頓堀)
太左衛門橋を渡りながら、相合橋のほうを見ると、道頓堀川に「えちぜん」号との名がある船が見えた。この「えちぜん」号という船は、とんぼりリバークルーズで運行されている船で、長さが11.5m、幅は3.4m、総トン数4.9トン、定員40名の観光船である。他に「お ...
太左衛門橋(道頓堀)
相合橋の西に架かるのが、太左衛門橋。橋の名の由来は、寛永3年(1626)に、道頓堀の南側に芝居小屋と遊郭が幕府によって公認されると、この橋の東南角に芝居小屋を開いた大坂太左衛門に因むという。太左衛門橋が架けられた時は定かではないが、明暦の頃(1655~5 ...
盛り場を・・・(道頓堀)
相合橋の北詰に「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」と刻まれた自筆の句碑が建つ。これは明治から昭和にかけて活躍した、食満南北(けま なんぼく)が詠んだもので、南北は毎夜毎夜この相合橋を渡り、芝居小屋に通ったという。食満南北は、明治13年(1880)堺の造り酒 ...
相合橋(道頓堀)
日本橋の架かる堺筋を越えて、さらに西に歩くと、玉屋町筋の道頓堀川に架かる橋が「相合橋」である。相合橋の呼び名は様々で、自分などはずっと「あいあいばし」だと思っていたのだが、どうやら「あいあうばし」と呼ぶようである。ほかにも「あいおうばし」「あいおいばし」 ...






