哲学の道には、また皇族の陵墓も多く残る。 この下には、その昔、栗塚旭(昭和40年代のテレビ時代劇の俳優。土方歳三は当り役)さんの「若王子」という喫茶店があった。 昭子内親王の陵墓である。昭子内親王は江戸時代初期の寛永2年(1625)に、後水尾天 ...

さて、いよいよ哲学の道を歩き始めることにしよう。京では唯一、北流する川である「琵琶湖疎水」の分線に沿って銀閣寺までを歩く。 こに時季は桜も紅葉もなく冬枯れの疎水分線なのだが、人影も少なく哲学の道というに相応しい季節なのである。 若王子橋から北に、 ...

また若王子神社の前には「後花園天皇御遺蹟之地」という石碑が建っている。 後花園天皇は、南北朝時代が終りを告げた2代後の、102代天皇である。在位は室町時代初期の正長元年(1428)から寛正5年(1464)の36年という長きに亙っている。 少し左に ...

その若王子神社の一角に、東方斎を称える石碑が建っている。 東方斎とはもと日本陸軍の大尉で退役した、荒尾精の号であり、若王子神社のそばに住んでいた。 支那(当時は中国を支那と呼んでいた)の上海で日中融和を目指した学校を作り、対支那工作を支えた ...

鹿ケ谷通の「新島襄先生墓地登り口」の石碑から東に200mほど歩くと、疎水分水に架かる、若王子橋がある。 この若王寺子橋を渡ると「熊野若王子神社」がある。 そして、ここから疎水に沿って北の銀閣寺までの(疎水は今出川通へと北流する)1.8Kmを哲学の ...

東天王町のバス停から鹿ケ谷通に出て少し南に下がると、後水尾天皇勅願所「光雲寺」と刻まれた石碑に出会い、そのまた南に、同志社を創立した、「新島襄先生墓地登り口」と刻まれた、新島襄の墓地への案内の石碑が建っている。 この石碑から今回の哲学の道を巡る、ぶ ...

昨年、嵯峨野に行ってから、2010年になってまだ京の町をぶらりと歩いていなかった。 今週の前半は小春日和の暖かい日というので、さてと考えたが、蹴上から本流と分かれ分線となる疎水に沿って銀閣寺まで続く、哲学の道を歩いてみようと思い立った。 調度、今が一 ...

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