仁王門の右斜めには、臨済宗東福寺の塔頭寺院である『退耕庵』がある。 貞和2年(1346)東福寺第43世住持、性海霊見により創建された。 その後、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長4年(1599)安国寺恵瓊によって再興された。 なお慶応4 ...
京都駅から東福寺へ
先日数十年振りに学校の友達と会った。頭は少し薄くはなっていたが、昔の面影はちゃんと残っていたし、京都駅新幹線の出口で直ぐに彼だと分かった。 同じ高知から彼は東京へ、自分は大阪へと出て随分と無沙汰をしていたのだが、高知からの帰りに京都で降りてくれ、数十年 ...
五条坂から京都駅へ
清水寺から五条坂を下って、東大路通と五条坂が交差する東山五条に出る。ここのバス停「五条坂」から京都駅に戻ることにした。 東山五条の交差点を撮った写真を探してみたが、見当たらない。 確か前に、この界隈を歩いた時に五条通から、五条坂や大谷本廟への坂 ...
安祥院(日限地蔵)
清水寺を辞し、茶わん坂(清水新道)から五条坂に出ると、日限地蔵尊の安祥院がある。 安祥院は、木食正禅上人が享保10年(1725)に、南区久世の地から現在の地に移転し再興したとされる。 五条坂に面した山門には、左に「梅田雲浜先生墓当院内」、右に「 ...
再び仁王門へ
清水さんも音羽の滝を過ぎると、再び仁王門の姿が見えてくる。 清水寺は「清水の舞台」に代表されるような、木造の建築物が多いのだが、もう一つ、この様な石組みの石垣にも目を見張るものがある。 その石垣を目にしながら先に進むと、再び仁王門に出会 ...
音羽の滝
清水寺といえば『清水の舞台』ともう一つ、ここを置いては語れない『音羽の滝』。清水寺の語源ともなった、清水が湧くという音羽の滝。 今日もこの水を飲む為に、三筋に流れる滝の前に大勢の人が列をなして並んでいた。 音羽の滝は、奥の院からまだ下に降りた所 ...
阿弖利爲・母禮の碑
さらにこんなものまであった。平安遷都1200年に当たり建てられた、阿弖利爲(アテルイ)と母禮(モレ)の顕彰碑である。 碑文によると、 『8世紀末頃まで、東北北上川流域を日高見国と云い、大和朝廷の勢力圏外にあり、独自の生活と文化を形成していた。 朝 ...