清水寺から五条坂を下って、東大路通と五条坂が交差する東山五条に出る。ここのバス停「五条坂」から京都駅に戻ることにした。 東山五条の交差点を撮った写真を探してみたが、見当たらない。 確か前に、この界隈を歩いた時に五条通から、五条坂や大谷本廟への坂 ...

清水寺を辞し、茶わん坂(清水新道)から五条坂に出ると、日限地蔵尊の安祥院がある。 安祥院は、木食正禅上人が享保10年(1725)に、南区久世の地から現在の地に移転し再興したとされる。 五条坂に面した山門には、左に「梅田雲浜先生墓当院内」、右に「 ...

清水さんも音羽の滝を過ぎると、再び仁王門の姿が見えてくる。 清水寺は「清水の舞台」に代表されるような、木造の建築物が多いのだが、もう一つ、この様な石組みの石垣にも目を見張るものがある。 その石垣を目にしながら先に進むと、再び仁王門に出会 ...

清水寺といえば『清水の舞台』ともう一つ、ここを置いては語れない『音羽の滝』。清水寺の語源ともなった、清水が湧くという音羽の滝。 今日もこの水を飲む為に、三筋に流れる滝の前に大勢の人が列をなして並んでいた。 音羽の滝は、奥の院からまだ下に降りた所 ...

さらにこんなものまであった。平安遷都1200年に当たり建てられた、阿弖利爲(アテルイ)と母禮(モレ)の顕彰碑である。 碑文によると、 『8世紀末頃まで、東北北上川流域を日高見国と云い、大和朝廷の勢力圏外にあり、独自の生活と文化を形成していた。 朝 ...

清水寺も奥の院を過ぎ、音羽の滝へと向かう途中にこんなものに出会った。 『この石像は、傳福禄寿と云われ清水寺縁起によれば、奈良時代宝亀9年(778)音羽の滝一帯を中心として修行中の行叡居士より、 大和の子島寺僧延鎮上人が霊水を嘱され、観音像を奉納 ...

清水寺の鎮守で、大己貴命(おおむちのみこと)を主神とし、縁結びの神として参詣者が多い「地主神社」 『地主神社は、清水八坂一帯の産土神で元は地主権現と呼ばれ、明治になって現在の名に改められた。 祭神として大国主命とその父母神、素戔嗚尊・櫛名田姫 ...

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