瀬見の小川を北に、下鴨神社に近づくにつれ東西へと流れが変ると『奈良の小川』である。 この小川は、境内「糺の森」の発掘調査により、幅3m、深さ0.4mの古代の流露60mが見つかったものを復元された小川である。 この小川の上流の船島は、奈良殿神 ...

河合神社の東側を下鴨神社から糺の森の参道に沿って、北から南に流れる小川が『瀬見の小川』と呼ばれる流れである。 糺の森のなかを、北から南に流れている小川で、深さは人のくるぶし位であろうか。 流れるでもなく、留まるでもなく、ゆったりとした時間が過 ...

『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。』 に始まる「方丈記」 【これが書かれたのが、鎌倉時代の「建暦のふたとせ、やおのつもごり頃(建暦2年(1212)】 を書いた ...

河合神社の境内には、数々の末社があり、夫々が重要文化財申請の社殿である。 三井社(みついしゃ) 別名を三塚社とも云い、 中社『賀茂建角身命』(かもたけつぬみのみこと) 西社『伊賀古夜日賣命』(いがこやひめのみこと) 東社『玉依媛賣命』(たまよりひ ...

鬱蒼と木々が繁る「糺の森」の由来は 下鴨神社の祭神、賀茂建角身命が、この森で人々の訴えを聞き正邪を裁いたと云われ、これから「糺す」という名が付いたとも、 また、秦氏と賀茂氏とのつながりから、蚕の社にある元糺の池に因んだとも云われている。 その「糺の ...

出町柳から河合橋を渡り、糺の森の入口にあるのが、葵公園である。この一角に、尾上松之助の胸像が建っている。 尾上松之助といっても、その人誰という感じだろうが、尾上松之助は明治から大正にかけて、日本映画最初のスターである。 明治42年(1909)に ...

賀茂川と高野川が合流する場所にある森が「糺の森」 叡電出町柳の駅から高野川に架かる河合橋を渡ると、右に糺の森、左に賀茂川と高野川が合流し、鴨川となる光景が見える。 二つの川の合流点に小さな公園があり、先述の飛び石を渡ると、この公園に辿り着く。 ...

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