長崎から大坂に戻る船の中で、後藤象二郎に話したという「船中八策」であるのだが、 実はその前に、横井小楠が、国是七ケ条なるものを提唱しているのだが、 まずは明治新政府の基本方針である、「五箇条のご誓文」からみてみよう。   五箇条の御誓文は 明治新政府が ...

龍馬の歩みを少し振り返ってみると、 龍馬は高知の上町一丁目で、郷士の家の次男として、天保6年(1836)に生まれる。剣術は、土佐で日野根道場に通い、 その後、江戸に出て千葉道場にて北辰一刀流を学び免許皆伝の腕前を持つ。ここで平井加尾よりも別嬪だと ...

慶応3年(1867)11月15日、河原町醤油商の近江屋で暗殺された、龍馬と慎太郎はこの霊山の地に並んで葬られている。 その墓への導(しるべ)が霊山の入口の階段途中に静かに建っている。 霊山の地では誰もがこの墓石を目当てに、足を運ぶ。特に命 ...

霊山墓地の一番の高見にあるのが、長州の人である、木戸孝允、幕末には、桂小五郎と呼ばれていた人物の墓石である。 桂小五郎と呼ぶべきか、はたまた木戸孝允と呼ぶべきか、この人物を語る上では、この二つの名の由来に於いて、どちらの名でこの人物を呼ぶのかで、見 ...

霊山の聖地に入ると、すぐに目に付くのがこの碑である。神道碑と云い、国家に功績のあった人物を顕彰するために、墓所への参道に建てられるものである。 特に、この霊山にある木戸孝允の神道碑は、明治天皇の勅により建立されたので、勅撰碑とも呼ばれる。 この木 ...

霊山には禁門の変(蛤御門の変)で戦死や自刃をした志士たちが多く祀られている。 禁門の変は、長州藩が朝廷での勢力を取り戻そうと起こした戦であるが、西国の各藩の志士たちがこの戦に参戦しているのである。 禁門の変は、御所にある夫々の御門を堺に対峙し、幕府8 ...

幕末は勤皇も佐幕もたがいに暗殺に明け暮れた時代であったのだが、特に勤皇の志士たちが志を半ばにして、悲運の死をとげた時代でもあった。 その代表的な出来事が、元治元年(1864)に新選組が池田屋にて志士たちを襲った「池田屋騒動」である。そこで非業の死を遂げた ...

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