四条通は、京都の市街を東西に走る通りで、東の突当たりが、祇園にある「八坂神社」で、西の突当たりが、嵐山にある「松尾大社」である。四条通も松尾橋を越え、阪急嵐山線の松尾の踏切を渡ると、嵯峨街道にあたり、その角に平安神宮の大鳥居に次ぐ、高さ14mの松尾大社の ...

京都御苑西側の烏丸通りに面する蛤御門前の、もと中院家邸跡の地に、和気清麻呂公と姉の和気広虫姫を主祭神とした護王神社がある。東の烏丸通に一の鳥居があり、北の下長者通に二の鳥居をもつ。護王神社は和気氏が創建したとされる、高尾の神護寺に和気清麻呂公を祀ったこと ...

京都駅近くの塩小路通東洞院の南西角に「電気鉄道事業発祥地」石碑が建ち、また伏見の下油掛(後の京橋)にも、「電気鉄道事業発祥」の石碑が建っている。これは日本で最初に市電(路面電車)が走ったことを記す石碑である。明治維新により東京に都が移り沈滞していた京都に ...

鳥羽・伏見の戦いの戦端が開かれたのが、鳥羽街道(伏見)の鴨川に架かる「小枝橋」であった。現在の「小枝橋」は、京都市南区上鳥羽と伏見区中島ちに架かるコンクリートの橋で、戦端が開かれた「小枝橋」は、現在の橋から鴨川沿いに南へ、千本通と城南宮通の交差する辺りが ...

伏見桃山は東山丘陵の南端にあたり、南には巨椋池が広がり、奈良や大坂への要衝の地だったのである。その伏見の地に築かれたのが、伏見城である。最初の伏見城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)直後の、文禄元年(1592)に、自身の隠居所として、伏見指月(現在の京都 ...

岡崎にはその昔、六つのお寺があった所で、その六つの寺を称し「六勝寺」という名で呼ばれていた。六勝寺とは、院政の期(12世紀)にこの岡崎に天皇の個人的な思いで、豪壮華麗な寺が建てられたもので、ときの天皇の権力によりその規模は異なるが、その何れの寺にも「勝」 ...

蹴上には琵琶湖疏水と共に、日本の近代化に貢献したものがあり、それは蹴上発電所と蹴上浄水場である。蹴上発電所は琵琶湖疏水の建設と共に造られたもので、明治24年(1891)6月に、2台の発電機で運転を始め、この電力により日本初の市電が、明治28年(1895) ...

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