六角堂を出て、六角通を挟んだ斜め向いの飛地にあるのが、六角堂の「鐘楼堂」 この鐘楼は、堀尾吉晴の子、忠氏の寄進になるものであり、一向一揆や加茂川の洪水、大火などの際にこの鐘を鳴らして知らせたという。 しかし、この鐘は天明の大火で焼失し (天明8年 ...

六角堂の境内には色々なお地蔵さんが住んでいる。これらのお地蔵さんを少し紹介してみようと思う。 一言願い地蔵 『このお地蔵さまは、少し首を傾けられた姿をされていますが、これは悩んでいらっしゃるわけではなく、お参りに来られた方の願いを叶えてあげようか ...

六角堂本堂の後方に、華道の家元「池坊」がある。 華道、池坊はその昔、聖徳太子が亡くなった後に、隋から帰朝した小野妹子が、太子が沐浴したという池の畔に一坊を営んで、 本尊如意輪観音に仕えていたので、世人は妹子を池の坊と呼び、妹子は太子から伝えられた ...

本堂の東側に、柵で囲われた中に平面六角形をした平らな石があるが、これは『桓武天皇の延暦12年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座を祈願されたところ、御堂がにわかに5丈(15m)ばかり北へ退かれたという。この石 ...

烏丸通六角東入ルにあるのが、「紫雲山頂法寺」、通称「六角堂」という。 西国三十三所第十八番札所で、洛陽七観音の一つである。本尊は金銅如意輪観音像を祀る。現在の本堂は明治10年(1877)の再建になるものである。本堂の前には、京の中心だったこと ...

御所八幡宮のある高倉通から西にひとつ御池通間之町南東角の吉忠ビルの脇に「在原業平邸跡」の石碑が建っている。 平安時代のこの界隈には、高陽院・高倉殿・花山院・大炊内裏など貴族の邸宅や内裏があった所で、そんな中に在原業平の屋敷もあったようである。 ...

先日といっても、もう1ケ月も前になるのだが、「龍馬伝」をやっていた高倉三条にある、京都文化博物館を訪ねた。 この界隈というか烏丸通は、京都駅からこの通りを走るバスがないのである。というのも烏丸通の下には地下鉄が走っていてバスを走らすと、バスに乗客を奪わ ...

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