京都大学の校舎を左右にみて、東一条通を東に行き当たると神楽岡に鎮座する吉田神社の一の鳥居がある。吉田神社は、清和天皇の貞観元年(859)に中納言藤原山陰が春日の四神を迎え、平安京の守護神として祀ったのが起源であるという。吉田神社の社務は、昔から卜部(うら ...

京都には三つの「蜘蛛塚」と呼ばれる所がある。ひとつは、北野天満宮の東向観音寺で、謡曲などで有名な「土蜘蛛の灯籠」がある。駒札によると、『この土蜘蛛灯籠は、もと七本松通一条にあって、源頼光を悩ました土蜘蛛が棲んでいたところといわれた。明治年間に、この塚を発 ...

京都駅から9系統のバスで堀川通を北に「一条戻り橋・晴明神社前」をすぎ5分ほどで「天神公園前」に着く。ここで降りると、かってここにあった悲田院の鎮守社とされる、水火天満宮が鎮座する。祭神は菅原道真公である。ここに道真の師である、延暦寺の法性坊尊意僧正が供養 ...

この世とあの世を行き来した小野篁は、平安時代初めの公家、文人である。従三位に律しられた身分であり、このような人物が、この世とあの世を何故行き来出来たのかという疑問が湧くのだが・・・小野篁は遣隋使で中国に渡った小野妹子の子孫であり、その才能は秀でていたと言 ...

三条通神宮道から東に、粟田神社の鳥居が見えてくるのだが、それに目を奪われて、つい見逃してしまうのが、粟田神社の前三条通を挟んで向かい側にある「合槌稲荷神社」である。この稲荷神社が、平安時代中期の刀匠・三条小鍛冶宗近が信仰していた稲荷の社であったと伝えられ ...

京都駅から9系統のバスに乗り「堀川寺之内」で折り、寺之内通を東に一筋目を南に、徒歩3分の所に「法恩寺」がある。尭天山佛牙院鳴虎報恩寺といい、室町時代中期までは法音寺という八宗兼学の寺院として、一条高倉付近(現在の御所御苑内、後に有栖川宮高松殿邸となる)に ...

豊臣秀吉が京の町を囲むようにして造った「御土居」により、洛中・洛外の区分が出来たのであるが、それにともなって御土居の廻りには7つの出入口が設けられた。これを「京の七口」といい、それらは主要な街道への出入口でもあった。だが「京の七口」というものの実際の出入 ...

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