京都駅から50または205系統のバスに乗り「衣笠校前」で降りると、京でも桜が早く咲く平野神社がある。平野神社は延暦年間に、大和国から今の地に移された。現在の社殿は寛永年間(1624~1643)に再建されたもので、第一殿から第四殿と、摂社県社(あがたのやし ...
木屋町通に遭難の碑が立つ「本間精一郎」
高瀬川に架かる蛸薬師橋を超え、土佐藩邸跡を右に見て、木屋町通を南に、紙屋橋の向かい側に、本間精一郎が斬殺された場所がある。本間精一郎は、天保5年(1834)に越後寺泊の「かくほん」という屋号の、酢醤油を醸造している豪商の家に生まれる。嘉永6年(1853) ...
山科義士祭の最終目的地「大石神社」
川田道と醍醐道の交差点から南側すぐに「大石神社」がある。大石神社の最寄駅は地下鉄東西線の椥辻なのだが、ここから歩くと30分の距離があり、最寄駅とは言えないので、バスに乗り「大石神社前」で降りると、徒歩2分である。大石神社は大石内蔵助良雄を祭神として祀る神 ...
淀城主永井尚政が再興した宇治の「興聖寺」
宇治橋から宇治川の左岸を滔々(とうとう)たる流れに沿いさらに上流へと向い、観流橋という小さな橋を渡ると、道元禅師を開祖とした曹洞宗のお寺「仏徳山興聖寺」がある。興聖寺は天福元年(1233)道元禅師を開祖とする日本最古の禅寺である。度々の兵火にかかり廃絶し ...
雪舟寺と呼ばれる東福寺塔頭「芬陀院」
東福寺の境内を日下門から出て中大門に至るまでの参道に、東福寺の塔頭であると「芬陀院」がある。東福寺の塔頭・芬陀院(ふんだいん)は、水墨画で有名な雪舟が作った庭があることから、雪舟寺とも呼ばれ、鎌倉時代の元亨年間(1321~24)に、関白・一条内経が定山祖 ...
足利義政好みの茶室清蓮亭がある「等持院」
京で室町幕府の足利将軍に関わる寺は、金閣寺や銀閣寺が知られているのだが、等持院もまた足利将軍に関わりのある寺なのである。嵐電北野線で「北野白梅町」から一駅目が「等持院」その次が「龍安寺」の駅である。等持院の駅は、2面2線のホームを持つ地上駅である。ここか ...
哲学の道の「関雪桜」
哲学の道は、若王子神社前の若王子橋から北に、琵琶湖疎水分線に沿って、銀閣寺西の白川に架かる銀閣寺橋までの2Kmの小径である。20世紀の初め、京都大学教授の哲学者・西田幾太郎(にしだきたろう)が、この道を散歩しながら思索に耽っていたことから名付けられたもので ...