宮川町と祇園の花街に挟まれた、いかにも京都の寺というのが「建仁寺」。栄西禅師が開基として、京都で最初に開いた禅寺である。14の塔頭が回りにある中、勅使門・三門・法堂・方丈が一直線に並び、いかにも禅寺らしいたたずまいである。建仁寺は、建仁2年(1202)に、 ...

京で室町幕府の足利家に関わる寺は、金閣寺や銀閣寺が知られているのだが、等持院もまた足利家に関わりのある寺なのである。嵐電北野線で「北野白梅町」から一駅目が「等持院」その次が「龍安寺」の駅である。等持院の駅は、2面2線のホームを持つ地上駅である。ここから龍 ...

わら天神、その名を敷地神社という。この社の謂れは、もとは北山の神として衣笠村の村社としてあったのだが、天長8年(831)にこの地に氷室が設けられ、それを管理するために加賀国から移住した人達が、敷地天神を加護し北山の神の隣に祀った。ところが応永4年(139 ...

御車返しの桜から、御所の「宜秋門(ぎしゅうもん)」が見える。御所にある六つの門のうちの一つで、御所の西側にあって一番南に位置する門である。かつて御所が春と秋の一般公開では、この門から入り「清所門」から出るという順路であった。宜秋門は、平安京内裏の外郭門の ...

明治維新により東京遷都がされると京都は衰退する。そのために産業振興として琵琶湖疏水が計画された。その水路を利用して水力発電を起こし、その電力で路面電車を走ら相との計画が持ち上がり、明治27年(1894)2月に京都電気鉄道が設立されるのである。明治28年( ...

河原町三条下ルの一筋目、通称、龍馬通りを東に入ると、龍馬が京で定宿としていた酢屋という店にたどり着く。酢屋という屋号からは、お酢を扱っているような感じがするのだが、創業は享保6年(1721)で現在まで280年続く、材木商なのである。酢屋は代々、嘉兵衛の名 ...

裏松固禅は、江戸時代中期から後期にかけての公家であり「大内裏図考証」を著した人物である。裏松固禅は、天文元年(1736)に生まれ、11才の時にウ荒松家の養子となる。宝暦事件(江戸時代中期に尊皇論者が弾圧された事件)の首謀者竹内敬持(たかもち)と親交があっ ...

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