謡曲「誓願寺」は世阿弥の作と云われ、和泉式部と一遍上人とが誓願寺の縁起と霊験を語るという筋立てで、その中で和泉式部が歌舞の菩薩となって現れるという物語である。謡曲「誓願寺」は、『一遍上人が熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生(けつじょうおうじょう)六 ...

平敦盛を討ち取った熊谷直実はそれ以降、深く思うところがあり、出家への思いが強くなるのである。熊谷直実は源平合戦の寿永3年(1184)の「一ノ谷の戦」で、平敦盛に出会い沖の船に向かっている敦盛を呼び戻し、勝負の末にその首を切り落とした源氏方の武士である。明 ...

五条大橋の「扇塚」から平家の公達・平敦盛へとつながってゆくのだが・・・写真1扇型の石碑が敦盛の悲話を伝えるのは、寿永3年(1184)一ノ谷の戦いで、平家の公達・平敦盛が源氏の熊谷直実に討たれたことに始まる。一ノ谷の戦に破れ沖の船に逃げ行く中に、練貫(ねり ...

この五条大橋の袂「扇塚」の建つ辺りにあったのが「新善光寺」(別称を時宗御影堂)である。時宗は浄土教の宗派で、一遍上人の開創になる。法然の開いた浄土宗は、信心を表すのに念仏を唱えよと説き、時宗は信心とは関係なく念仏さえ唱えれば極楽往生が得られると教えたので ...

「京の五条の橋の上・・・」と歌われた五条大橋。五条大橋は国道1号線で、その先は東京へと続いている。五条の橋は、かつては現在の松原通に架かっていたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が下流の六条坊門通に橋を移し、その橋を「五条橋」と名付けたことから、通りの ...

同聚院には「日本のシンデレラ」と呼ばれたモルガンお雪の墓がある。モルガンお雪は本名を加藤ユキ(明治14年(1881)から昭和38年(1968))といい、アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥と結婚した祇園の芸妓である。明治34年(1901)20才のお雪(源氏 ...

東福寺には、京都駅から市バス88・208系統のバスに乗り「東福寺」で降り、南に10分ほど歩くか、JR奈良線で「東福寺」で降り、南に10分ほど歩く。また京阪電車では「東福寺」か「鳥羽街道」で降り、どちらも10分ほど歩く。東福寺は、恵日山(えにちざん)と号す ...

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