室町時代には二つの大きな文化が花開くことになる。          金 閣                   銀 閣 一つは、金閣と能に代表される室町幕府3代将軍足利義満の北山文化(14世紀末から15世紀前半)、そしてもう一つは、銀閣と水墨画に代 ...

平安京は・・・羅城門跡延暦13年(794)、桓武天皇により長岡京から遷都された平安京は、条坊制と呼ばれる大路小路を碁盤目状にした一辺120m四方を基本として、京都盆地のほぼ中央に東西約4.5Km、南北約5.2Kmの規模で建設される。平安京の北に「船岡山(玄 ...

四条通は、平安京の四条大路にあたり、東は祇園八坂神社の石段下から、西は嵐山の松尾大社まで、京都を代表する二つの神社に守られた、東西の通りである。四条通の祇園から四条大橋を渡り、河原町と交差する辺りまでが、京都を代表する繁華街である。南北の通りには、先斗町 ...

北大路バスターミナルから5分ほど歩くと賀茂川べりに出る。その右岸(西)を通る道が「加茂街道」であり、半木の道は左岸(東)の京都植物園の辺りの土手道である。加茂街道は賀茂川(賀茂川は、その下流で東から流れてきた、高野川と合流し、鴨川となって京都市内を南に流 ...

三十三間堂の東、養源院の隣に後白河上皇に係わりの「法住寺」がある。後白河天皇は平安時代末期、平家や源氏など武士が台頭した頃の、平清盛や源義朝などと共に、騒乱の時代を生きた77代の天皇(在位1155~1158)である。鳥羽法皇は寵愛する美福門院(藤原得子) ...

新京極から三条通を西に進み、寺町通と交差する角を右に曲がると、北東の角に「矢田寺」がある。矢田寺の本堂に安置されている地蔵菩薩(矢田地蔵)は、阿鼻叫喚の地獄で人々の苦しみを救う生身の地蔵として、代受苦地蔵とも呼ばれ厚く信仰されている。平安時代初期に矢田寺 ...

嵯峨釈迦堂とも呼ばれる清凉寺の大念仏狂言堂で行われるのが「嵯峨大念仏狂言」。壬生大念仏狂言、千本ゑんま堂狂言とともに京の三大念仏狂言として知られ、演者が面を着け、身振り手振りだけで芝居する無言劇である。毎年3月15日の涅槃会のお松明式と4月に3日間、公演 ...

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