碑文:表「会津小鉄之墓」黒谷さんの搭頭である西雲院の墓所に、会津小鉄のお墓があった。特に見に行ったということでなく、会津藩殉難者墓地を見に行った道すがら、こんな所に会津小鉄のお墓があるのを見つけたのである。会津の小鉄こと、上坂仙吉は幕末の侠客で(今でいう ...

碑文:表「会津藩殉難者墓地」金戒光明寺の唐頭・西雲院には会津藩士の墓所があり、幕末の京都で斃れた二百三十七霊と鳥羽伏見で戦死した百十五霊を祀った、会津藩殉難者墓地がある。京都守護職の本陣を金戒光明寺に置き、家臣一千名を駐屯させ京の治安を守ることになったが ...

碑文:表「熊谷よろひかけ松」金戒光明寺の御影堂の横に熊谷直実が鎧を掛けたという松が残る。京都では金戒光明寺を「くろ谷さん」と呼ぶ。なぜ黒谷さんと呼ばれているかというと、承安5年(1175)法然上人が比叡山西搭の黒谷にならって、この地に庵を結んだのが起りで、正 ...

碑文:表(東)「千利休居士聚楽屋敷趾」/裏(西)「平成十六年十月居士十四世官休庵千宗守」/左(北)「晴明神社の地は千利休宗易居士が聚楽屋敷を構え茶事を催し茶湯に用いたとされる井戸が現存する旧跡である」/右(南)「平成十五年神幸祭晴明少年鼓笛隊々長 奉仕記念 ...

碑文:表(北)「此附近 聚楽第跡」/右(東)「寄附者 上京第十一学区内有志者」/左(西)「大正四年十一月建之 京都市教育会」聚楽第は、天正14年(1586)豊臣秀吉が平安京大内裏跡の内野に造営した屋敷で、九州征伐を終えた秀吉が大坂より移り政治を司り、豊臣政権の政 ...

碑文:表(南)「大極殿遺址」/裏(北)「明治弐拾八年十月廿二日 京都市参事会建」大極殿は、平安京の中心であった平安宮朝堂院の正殿で、平安京遷都の延暦13年(794)に建設され、翌年に完成する。天皇が国家の重要な儀式を執り行う、最も格式の高い建物で、即位式、元 ...

碑文:表(南)「平安宮朝堂院跡」/裏(北)「昭和五十一年八月吉日 協和銀行千本支店新築記念」石碑は昭和51年(1976)に、協和銀行千本支店が新築された際に建てられたもので、現在は「りそな銀行千本支店」となっている。りそな銀行は、平成15年(2003)に大和銀行と ...

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