御車寄から続くのが諸大夫の間である。

01諸大夫の間min
御車寄の南に位置し、正式な御用で参内した公家や将軍家の使者の控えの間である。
ここは参内を許された者の身分に応じて、格式の高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と、襖の絵に因んで右に行くほど格式が高くなっている。
畳の縁の色も違っていて、部屋に入るのも「虎の間」「鶴の間」には御車寄から入るのだが、武家や大名などは、諸大夫の建物の西の沓脱から昇殿をし「桜の間」に控えることになる。

02彪の間min
「虎の間」は公家が控える所から「公卿の間」とも呼ばれ、岸袋(がんたい)が描いた彪が襖一面に踊っている。
岸袋は江戸後期の絵師で、岸派の祖・岸駒の長男として生まれ、彪など動物絵を得意とし、岸駒や呉春亡き後の京都画壇に大きな影響を与えた。

03鶴の間min
「鶴の間」は所司代・高家・高僧が控える所から「殿上の間」と呼ばれ、狩野永岳(かのうえいがく)が描いた鶴が飛んでいる。
狩野永岳は江戸時代後期に、京を中心に活躍した京狩野家の9代目で、新しい画風を取り入れて、低迷していた狩野家を再興した人物である。

04桜の間min
一番西にある「桜の間」は、大名など武士の中で参内を許された人達で、参内者の中では最も身分が低い者たちであった。
襖には原在照(はらざいしょう)が描いた、桜の花が咲き誇っている。
原在照は江戸時代末期に、禁裏の御用画を手掛けその作品は世に出ることは無かったという。
幕末を生き、安政の御所造営には、諸御殿の襖・杉戸の絵を手掛け、明治天皇即位では、曲水の宴の屏風絵を描いている。